愛を持って。


最近私はあることに気づきました。

 

人に接するとき、

私は、全く人に好意を以っていない。ということに。

 

いろいろ原因を探りました。 

結果若い頃はまだ傷つく事も少ない上、 

みんな甲乙ないため無邪気でいられた。 

けど、

年を重ねていくうち苦労が心を病んだのか  

自分を不幸モードにした。


人は恨む存在にしかならなかった。 


自分が勝手に設定した世界ですが、こんな筈ではないという自己否定がなせる技というかなんというか。

 

”今の自分を愛せないのに、

人が愛せるわけない。”

 

 

逆に言えば、

人を愛することは、自分を愛することにつながり

 

節目を迎える前に、こんな大切なことを気がつかせてもらえるとは..

 

しんみり自分にごめんねと謝ったのでした。

 

 

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人に好意を以って接することで

自分の良い部分が活かされる気がします。

 

ちょっと摩擦を生じてしまう相手にも、

ただクソボケと思って終わりにならない。

 

どうしたらこの人を活かしてあげられるかな

 

と、自分の経験した中からのものが作動して

良きアイデアが生まれ円滑さが出るとか。

 

私には子供がいないので

いつまでも自分が主人公で

とくにこういった感情が生まれにくかったのかなと思います。

 

愛を以って、好意を以って

人を大切に思う

 

人を大切にするということは、

自分を大切にするということと同じ。

 

 

 

自己中心的な人は結構疲れていたりストレスが溜まると

人を攻撃するモードになりやすいかもしれませんが、

”今生きていることに感謝する”という気持ちを思い出してみると

気持ちがスッと切り替えられ謙虚さを思い出すことができます。

 

 

しんどい仕事も仕事がもらえるだけマシであり

暖かい部屋で眠れ、暖かいご飯が食べれるわけで

 

 

そんな自己中な私の今日の出来事ですが、

いつものように

公園に散歩に行くのですが

連日忙しく、採血のし過ぎで節々痛かったりで

清々しい気持ちに中々なれませんでした。

 

 

そんな時、先ほどの生きていることの感謝を思い出し、

そうだ、今日は(たまたま誕生日だったこともあり)

一年この公園が私を支えてくれたことに

感謝して周ろうと決めたのです。

 

 

この公園は過去私が、

”生きていて良かった”と初めて思うことができた

神様に会った公園ですからね。

 

 

しかし走り始めると

余裕もなくそんな感謝も結局忘れてしまったのですが

そんな時、まさに神様に出会った場所で

有るものが目に飛び込んできたのでした。

 

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あれー、こんな杭あったかな?

 

 

なんか意味あるなあと思いながら

今年はできる限り、

”ありがとう”という気持ちを以って過ごそうと思ったのでした。

 

 

結構な年齢を重ねましたが、

まだまだ未熟そのものだなあと思ったのでした。