酉年2017。 運(命)と努力というものについて

 

 

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あけましておめでとうございます。

 

 

今年の正月は年末年始と仕事もお休みを2日いただき、のんびりした正月を迎えることができました。

 

元旦であった今日の午前中は土地の神様の城山八幡宮に挨拶を兼ね初詣をし、あとは決算の続き^^;をやっている感じです。

 

久しぶりに初詣に行き気づいたことでしたが、昨年の自分は八方塞りの年だったようです。

 

しかし神社には”門”がたくさんありますね...その門の両サイドには狛犬が目を光らせています。お正月の慣わしなのでしょうか、正月はさらに”門”が増設されていました。

 

久しぶりに神社に行った自分でしたが、この門を何度も潜り、神様に会いにいく道がなんとなく死んだあと49日を経て閻魔様に会いに行く道のようだと感じてしまいました。(人は閻魔様に行くべき所を決めてもらうのではないらしいですね。自分の一生のビデオみたいなものを先祖や肉親と一緒に見て、(自分の所業を血縁者に見られるなんて有りえなく恥ずかしい極みですが今までのことはどうにもなりません。。><)それでもう、自分の方からここに行ってもう一度修行し直しますと閻魔様に告るそうです。)一つ一つ門をくぐる度、この世で自分のした行ない(業)が思い出され、とても神様になぞ会いに行けない....という感じでしょうか。。今日の私の足はそんな事を思い出した為晴れやかとはとても言い難い初詣でした。

 

神社の門の脇に謙虚さと厳かなる気持ちを〜といったような言葉が彫刻されていることも自らの胸が痛んだ理由かもしれません。

 

そんな酉年の幕開けですが、陰陽五行ではこれからのうん十年は日本にとって世界にとって厳しい年となっていくと示されているようです。

まあ正直、、どんなに頑張っても自然の摂理や世界的な出来事に対し逃れることはできるものではありません。

 

少々前の自分は、”努力で人は必ずなんとかなるものである”ーと、信じておりました。でも反省を忘れる私なので仕方ないのですがここ数年、幾度目かの苦汁を飲んだ立場としてはその努力というのもどちらかというと、魂の活かされ方に対して行われることだと思うようになりました。

 

あんまり変に自分自身に期待をすることはせず、起きていることを静観しするべきことを(努力)することが努力。闇雲に努力というのも、出来事に執念を生みそうなので違うだろうと今は感じます。

 

そんな訳で、私は今ある生活のすべて〜商売、生活の場など〜そういうものに執着しない気持ちを持つように変化しました。

 

必要ならば活かされる。それだけです。

 

ただただ今が健康であり、よく眠れ、明日の仕事に備えられる自分であることに感謝するのみです。

 

自分の課題を見失わない一年となるよう心を引きしめていこうと思います。

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