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今日1日だけ。

人生 自己探求 清原選手

 

 

 

夜勤の前ですが、さらさらーとした音楽で自分の心も砂のようにお掃除。

 

youtu.be

 

 

すでに心が新年になっている私ですが
新年になり気持ちも心も新たに...といいますように、今年(2017年)は自分も過去のことなのに確執となり消化できない出来事、土地、人,,,,,そんなものを手放していけるよう心をトレーニングしていきたいと思っています。 

 

 

そんな中、今日は清原選手のインタビューの記事を読み、確かに罪を犯したのは清原選手自身なのですが、自分の犯した代償に対しこれほどにも苦しい顔、日々をみせている人を今の日本で取り上げるマスコミのニュースの中ですごく奇特に思えてしまったのは私だけでしょうか。。

 

人には因縁とか自分のもっているものからの苦境をいうものが、少なからずあったりすると思っています。清原さんの場合はエネルギーが大きい人だけに狙われやすくもあったのだと思います。(そして本人の心が純粋すぎただけに。。)

 

 

清原選手の自分がしたこととはいえ取り返しのつかない現在は、たくさんの人の教訓にもなるように思います。たとえそれが今生であろうがあの世での制裁かは置いといて、自分のしたことは全部自分に返ってきます

 

しかし、このインタビューの清原さんの写真をみて意見があったように、憑き物がとれたように私にもみえました。関わった人たちへ申し訳なかったと涙を流し、悪魔と毎日戦っている姿。悔恨からの浄化ができたーともいいましょうか。昔の威厳も全くないのですが、一番元の姿に戻れたようにみえました。人の前で取り繕うことをやめ謝罪する清原さんに心底エールを送りたくなりました。

 

人は一番どん底にいる時ほど内在する神に近くなれるといいます。清原選手にはそれを感じた気がしました。

 

これからもなんども誘惑に落ちるかもしれません。でも、それでも清原は清原に変わりないのです。 

母親のようですが、転んだり立ち上がったりする姿をずっと心にかけていたい気がします。

 

日々というものは毎日の積み重ねですが、この毎日という最小単位の時間枠を過去も未来もなく、とにかく野球の試合のように戦っていけばいいのだと思えましたし、私もそう生きていこうと思いました。

 

そして、日々によって重くなった体、罪に汚れ、病気を患ったボロボロの体を死ぬまで自分の力で引きずって歩くのです。時に洗濯もでき軽くなることもあるかもしれませんが、その引きずって歩くものが自分じゃなくなることはありません。

 

 

 

 

さあ、私も自分と歩いていきますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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